もくじ
・元内閣総理大臣
前原誠司元外相が産経新聞の取材に対し、10年前の2010年9月7日に尖閣諸島(沖縄県石垣市)沖の領海内で発生した海上保安庁巡視船と中国漁船の衝突事件で、当時の菅(かん)直人首相が、逮捕した中国人船長の釈放を求めたと明らかにした。旧民主党政権は処分保留による船長釈放を「検察独自の判断」と強調し、政府の関与を否定してきたが、菅氏の強い意向が釈放に反映されたとみられる。(記事を基に構成)
当時、薬害エイズ事件は、東京と大阪の民事裁判が結審し、裁判所から和解案が提示されていた。政府の責任を追及する原告団は座り込みを続けていた。菅氏は彼らを大臣室へと招き入れ、「こんなものが倉庫に隠されていました。83年当時、厚生省内に非加熱製剤が危険だという認識がありました」と非を認めた。
ところが郡司ファイルは、菅氏の主張したようなものではなかった。郡司氏は「新任の技官補佐が自分の勉強のために書いては私に見せたので、(中略)すぐ捨てるのも失礼かと思ってファイルしておいた」と述べている。(記事より)
東京電力福島第1原発事故で政府の事故調査・検証委員会が関係者から当時の状況を聞いた「聴取結果書(調書)」は、政治家や官僚、専門家など、これまでに202人分が公開された。吉田昌郎(まさお)福島第1原発所長の「吉田調書」で判明した現場の奮闘ぶりとは対照的に、公開された調書から浮かぶのは混迷する政府、及び腰の保安検査官、現場を乱す菅直人元首相の「イラ菅」ぶりだった。主な調書から事故の対応を振り返る。(記事より)
東京都第18区から立候補、立憲民主・国民・社保・無所属フォーラム
1946年10月山口県宇部市に生まれ。東京工業大学理学部卒業、弁理士
○第94代内閣総理大臣。副総理兼財務大臣、国家戦略担当大臣、厚生大臣等歴任
○衆議院大蔵、社労、科技、沖特、予算、土地特、決算行政監視、懲罰、国家基本、国土交通委員。衆議院外務委員長
○社会民主連合副書記長、政策審議会長、新党さきがけ政策調査会長、民主党代表、幹事長等を経て、現在立憲民主党最高顧問
○当選13回(36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48)
(2019年9月30日現在・衆議院HPを基に加筆)