もくじ
安倍1強が続いている。理由を自民党に投票している人に聞くと、「野党が頼りない」と答える。果たして本当に野党が頼りないという言葉でだけで片付け、安倍一強政治を続けることがいいのだろうか?
なぜ、人々は民主党政権を求めたのか?
民主党政権は2009年に誕生した。長く続いた小泉政権が終わり、小泉総理大臣に後継指名された安倍政権が誕生した。しかし、相次ぐ閣僚の失態、消えた年金問題で最後には安倍総理が政権を投げ出す形で一年であっけなく崩壊した。その後、福田政権、麻生政権といずれも一年も持たずに崩壊した。これが有権者の政治不信を招き、自民党政権は支持を失った。
それと相反する形で、民主党は支持を伸ばしてきた。第一次安倍政権時代に噴出した年金問題を皮切りに、長年自民党を支えてきた土建・建設業者との癒着に切り込み「コンクリートから人へ」のキャッチフレーズは有権者、特に無党派層に届き民主党の支持につながった。
2大政党制へ舵を切った日本の政治
1993年、細川連立内閣の下「選挙制度改革」が行われ、それまでの「中選挙区制」から「小選挙区と比例代表制度の並立制」が導入された。今まで一つの選挙区から複数の政治家が選出されていたのが、一つの選挙区で当選するのは一人と大きく選挙制度が変わった。つまり、二大政党制へと日本は舵を切ったのだ。
その後、細川政権は倒れ、再び自民党政権に戻ったが単独ではなく、社会党や自由党、公明党などと連立を組むことによってかろうじて政権を維持してきた。
2011年に民主党から自民党が政権を奪回した後も、数の上では大勝してきたが公明党(創価学会)の票がなければ落選して野党が勝つという選挙区が少なくない。そうした意味で公明党との連立は切るに切れない状態になっている。
一方、野党も離合集散を繰り返しながら成長してきた。選挙制度改革の後つくったのが新進党、その後、民主党となり紆余曲折あったけれど、ようやく民主党政権が誕生した。
本当にダメだった民主党政権
民主党の鳩山政権誕生後、つまずいたのが沖縄の基地問題だった。「県外移設」を公約に掲げて戦ったことから、2012年の5月までに結論を出すと鳩山由紀夫総理大臣が明言してしまったのだ。ここから、民主党政権は支持を失い始める。
基地問題は、日本の安全保障問題に関わることであり、特にアメリカ軍基地をどうするかというのは、アメリカの意向を無視してすることはできない。そして、公約通りにするにしても、地元との調整、業者との調整、アメリカとの調整において時間がかかる。そうしたことを考えれば5月までに方向性は出せたとしても結論を出すということは無理ということは現実的に不可能だったはずだ。
ここで民主党政権はもう一つ読み間違えていたことがある。それはアメリカの猛反発だ。アメリカは、何としても沖縄に基地を置いておきたい。それはよく言われる地政学的な理由ではなく、駐留経費を日本が負担してくれているからだ。(思いやり予算)そのためにアメリカは鳩山政権と対立し、基地問題以外の分野でも話し合いができなくなってしまった。アメリカにとって、安全保障はそう簡単に譲れない問題だ。議論には時間が必要だし、嫌がらせには耐える覚悟、またそうしたことの対策を事前にしておくことが必要だった。
期待しすぎた有権者
アメリカ軍基地問題に代表されるように、民主党政権の公約は次々にとん挫していった。「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズだったが、これも建築・土木事業者からの猛反発を喰らった。年金問題では厚生労働省に年金問題のエース・長妻昭議員を送り込んだが、官僚の猛反発で思うように前に進まなかった。あらゆるところで反発をうみ、公約がとん挫した。
ここが民主党の甘かったところだが、政権をとれば何でも思うようになるわけではなく、調整過程においていろいろな軋轢を生むということを計算に入れていなかった。早く成果をあげたい、公約を達成したいということで、調整に時間をかけなかったことで公約がとん挫し、支持を失った。
もちろん、民主党ばかりが悪いわけではない。55年体制以降、半世紀にも渡って自民党政権だったので、利権の恩恵を受けてきた人たちから猛反発を受けることは分かっていたことだった。有権者も、結果を早く求めすぎた。政権交代が起きれば、政治が劇的に変わるという夢を見すぎたのだ。
革命を起こしたわけではないので、公約の実行には時間がかかる。ましてや半世紀にわたって同じ政党が政権を握ってきたのだ。政権交代で結果を出すのは数年かかるということを有権者も認識していなかった。
つまり、民主党にも大きな問題があったのだが、有権者の意識にも大きな問題があったのだ。ここを有権者が認識しなければ、もう一度、自民党以外の政党が政権をとっても同じ問題が起こるだろう。